hatenominaのつれづれな日々

いろいろなこと〜

もうすぐ夏休みが終わる

あっという間に、もうすぐ夏休みが終わる。

 

私と夫は仕事があるものの、双方の実家に子どもを連れていったり、TDL&TDSへ来たり、ドライブでプールやフルーツ狩りに行ったりした😊

 

もう2度と来ないこの1年。そして子どもはずっと永遠に親と遊んでくれるわけではないため、いかにこの時間が尊いものか痛感する。

 

私と夫に子どもが2人以上居たら、この瞬間と似たような時間が何度もくるのかもしれない。

 

でも我が家はこれ以上は望まず、成長への嬉しさと儚い時間を感じる寂しさを抱えながら時間の経過を楽しんでいる。

 

昨夜、子どもと夫とテレビを見ながら色々話していた。

 

あいみょんが出演していて、「歌手になることが夢で、ひたすら歌手になる方法を探していた」というシーンがあった。

 

「私は大人になったときに夢は無かったなぁ。今は小さな夢がちょこちょこあるけどね。」とそんな話をしていたら、子どもの夢は「結婚すること」だそうだ。

 

驚いた😳

 

正直、夫とは仲が良くはない。ちょいちょい揉めることがある。子どもも、私と夫がラブラブな関係ではないとは客観的に見ているらしい。しかし、私と夫が楽しく談笑していると子どもはちょっとだけ嫉妬して合間に入ってくる。一緒に楽しみたいのだろう。

 

そんな私と夫の関係を見ながらも、結婚したいと思っているのは意外だった。

親としては、もちろん子どもには幸せになって欲しい。しかし、私自身は義家とは文化と価値観の違い、そして実家の方は毒親な価値観を持っていると大人になって気づいている。

 

親の世代は子ども世代の特に嫁いだ側が耐えたり我慢することで乗り切っていたのだろう。それが当たり前で、今でも当たり前が通用する場合は上手くいくのかもしれない。

 

私も含めて完璧な親も家族も居ない。

ただ、双方の親や数多くの社会に存在する家族の形を見ていると、親世代と子ども世代の「幸せ」の形が家族や親族で違うと、様々な揉め事や嫌味が生じることはすでに経験もしてわかっている。

一方で、それでも私は夫とは結婚して良かったと思っている。

 

また、我が家は共働きで私も夫も、大きな社会の中でいかに働きながら子どもを育てることが大変かは十分に分かっている。

色々な歯車が噛み合えば良い。ただ噛み合わない場合は、とたんにガタが来る。いまこうして、穏やかに夏休みが終わるのも、色んな歯車が噛み合って回っているからにすぎない。ただただ今が恵まれているだけにすぎない。

 

「結婚は大変なこともあるけど、とても幸せで楽しいことだよ」とだけ伝えた。嘘ではない。

まだ子どもは幼い。自分で歩んでいく中で沢山のことを見ていくだろう。

 

亡くなった祖父が昔、こう言っていたそうだ。

 

「親が生きているうちは、ゆっくりしろ」と。

 

祖父は戦前に生まれ戦時を経験した世代だ。親も家族も寿命を全うせずに死ぬことがある時代だ。私は心の片隅にこの言葉置いている。ゆっくり生きれば良いと。ただ側から私を見ると、「生き急いでいる」とよく言われる。祖父の言葉は一理あると思い、積極的に空や海や山を眺めてぼーっとしているが、もともとがせっかちな性分なのかもしれない。ゆっくりしていたら平等に過ぎていくのが時間だとはいつも感じてはある。

 

何かを成し遂げる必要もないし、何かを果たす必要もない。

しかし、今は自死しない限り人間という生命の終わりまで人生は続く。寿命を全うする時代だ。

結婚と子育ては昔と変わらず責任が伴う。もし上手くいかなくなっても、離婚する方が大変だし、子どもが居る場合はさらに関係性を切れないなど人生に抱えるものが延々と続くこともありえる。

 

それに数々の悩み、不妊育児放棄、産後鬱、障害、DV、オーバードーズ不登校、いじめ、社会からの断絶、それらの始まりは全て、産もうとして、生まれることが起因である。 

 

しかしそんな複雑なことを考え、賢くなればなるほど生命力自体は衰え、本当に子どもができないなど動物本来の機能が衰えてしまう。それも悲しいことだ。

 

人間とはいかに愚かで情けない動物なんだろうと思う時もある。しかし、私が見ている世界が全てではなく、これは私の人生でしかない。

 

子どもがどのような選択をとろうが、味方であることには変わりない。

ただ永久に、私も夫も子どもの人生を支えてあげることは出来ないのだろうと思うと、何とかこの子がこの社会という仕組みの中で自分のままで他者と生きていく術を身につけてほしいなと思う。