おはようございます🌞
住宅ローン4,270万円を抱える一般人のブログです!
先日から色々あったし、東京に出ては多くの人間と出会う度に、「幸せな家庭」で育ったんだろうなという人が羨ましく、でも羨んではいけないというアドバイスも受け、今は落ち着いている私です。
もっと仲の良い家庭に生まれたかった。
もっと穏やかな幼少期だったら良かった。
もっと愛されて育ちたかった。
過去に囚われていて、わかったのです。
結局、今上手くいかないこと、なんだか苦しいことを過去のせいにしているだけだと。
過去のせいにしようがしまいが、命がある限り何も変わらないと。
そして、いま目の前には実家から送られてくるお米があります。
祖父母の土地で稲作ができるため、自家では難しいけど団体で稲作をしていて、その年に採れたお米の必要分を配給で貰え、不足分は購入できます。
いま目の前にあるお米も、昨年の配給分から父が発送手続きをしてくれて目の前にあります。
世の中にはお米をスーパーや農家から買うしかない人が多くいて、目の前のお米を見ながら、祖父母も山中で貧しかっただろうし、父母だって一生懸命に働いてきた姿を見てきたことを、思い出しました。
先日の父との会話でこう言われました。
「いままで皆んなで頑張ってきただろうが」と。
ウチは裕福ではなかったと思います。
父も母も一生懸命に働いて、私も姉も育ててくれました。
ただただ、私がいつまでも幼少期の頃の寂しさが拭えず、豊かに育った人を見ては羨み、自分の子ども時代がもっと穏やかだったら…と望んでしまうんです。父と母を責めずにはいられない孤独感や虚しさ。
でも今この瞬間に過去を見るのか、未来を見るのか、同じ時間を過ごしていても心が全く違う。
コールセンターの方が言っていました。
「悪い思い出は出てこないように強く心を持って。良い思い出を思い出して。」と。
目の前にあるお米も、私が子どもの頃はまだ祖父も生きており、皆んなで田植えをしたものです。
誰かを羨まなくて良いのです。
自分にそう言い聞かせて生きていくしかないのです。